I can speak

くるしさは、忍従の夜。あきらめの朝。この世とは、あきらめの努めか。わびしさの堪えか。わかさ、かくて、日に虫食われゆき、仕合せも、陋巷の内に、見つけし、となむ。 わが歌、声を失い、しばらく東京で無為徒食して、そのうちに、何… 続きを読む I can speak

相川おけさ

越後が本家であると言はれるおけさ節の朝から晩まで聞ける相川は、毎年七月十三、十四、十五と三日續いての鑛山まつりに、全島のお祭好きを呼び集めます。此時には遙遙海を越えた新潟縣からも、或は祭見に、或は踊りに來る人があります。… 続きを読む 相川おけさ

藍瓶

玄関の格子戸がずりずりと開いて入って来た者があるので、順作は杯を持ったなりに、その前に坐った女の白粉をつけた眼の下に曇のある顔をちょと見てから、右斜にふりかえって玄関のほうを見た。そこには煤けた障子が陰鬱な曇日の色の中に… 続きを読む 藍瓶

哀歌

枝を折るのは誰だらう あはただしく飛びたつ影は何であらう ふかい吃水のほとりから そこここの傷痕から ながれるものは流れつくし かつてあつたままに暮れていつた いちどゆけばもはや帰れない 歩みゆくものの遅速に 思ひをひそ… 続きを読む 哀歌

哀音

――汽車の窓にて 夏の日の午さがり、 我が汽車は物憂げに 黒き煙を息吹きつゝ、 炎天の東海道を西へ馳す。 世ゆゑ、はたわれからの 黒熱に膿み爛れ、 灰汗の[#「灰汗の」はママ]洪水の胸底の 政の庁を失ひし 病人なれば、天… 続きを読む 哀音

I駅の一夜

まだ戦争中の話である。 三月十日の未明、本所深川を焼いたあの帝都空襲の余波を受けて、盛岡の一部にも火災が起きた。丁度その時刻には、私は何も知らずに、連絡船の中でぐっすり寝ていた。 青森に着いても何事も知らされず、いつもの… 続きを読む I駅の一夜

藍色の蟇

藍色の蟇 森の宝庫の寝間に 藍色の蟇は黄色い息をはいて 陰湿の暗い暖炉のなかにひとつの絵模様をかく。 太陽の隠し子のやうにひよわの少年は 美しい葡萄のやうな眼をもつて、 行くよ、行くよ、いさましげに、 空想の猟人はやはら… 続きを読む 藍色の蟇

その人にまた逢ふまでは、とても重苦しくて気骨の折れる人、もう滅多には逢ふまいと思ひます。さう思へばさば/\して別の事もなく普通の月日に戻り、毎日三時のお茶うけも待遠しいくらゐ待兼ねて頂きます。人間の寿命に相応はしい、嫁入… 続きを読む

愛ということばは、いつから人間の社会に発生したものでしょう。愛という言葉をもつようになった時期に、人類はともかく一つの飛躍をとげたと思います。なぜなら、人間のほかの生きものは、愛の感覚によって行動しても、愛という言葉の表… 続きを読む

R漁場と都の酒場で

一 停車場へ小包を出しに行き、私は帰りを、裏山へ向ふ野良路をたどり、待ち構へてゐた者のやうにふところから「シノン物語」といふ作者不明の絵本をとり出すと、それらの壮烈な戦争絵を見て吾を忘れ、誰はゞかることも要らぬ大きな声を… 続きを読む R漁場と都の酒場で

あゝ二十年

雪 とうとう二十年来の肩の重荷をおろしましてほっといたしました。ふりかえってみますと、私が十五歳の折り、内国勧業博覧会に「四季美人図」を初めて出品いたしまして、一等褒状を受け、しかもそれが当時御来朝中であらせられた英国皇… 続きを読む あゝ二十年

ああ東京は食い倒れ

戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。 ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。 先ず、戦後はじ… 続きを読む ああ東京は食い倒れ

「ああしんど」

よっぽど古いお話なんで御座いますよ。私の祖父の子供の時分に居りました、「三」という猫なんで御座います。三毛だったんで御座いますって。 何でも、あの、その祖父の話に、おばあさんがお嫁に来る時に――祖父のお母さんなんで御座い… 続きを読む 「ああしんど」

ア、秋

本職の詩人ともなれば、いつどんな注文があるか、わからないから、常に詩材の準備をして置くのである。 「秋について」という注文が来れば、よし来た、と「ア」の部の引き出しを開いて、愛、青、赤、アキ、いろいろのノオトがあって、そ… 続きを読む ア、秋

ああ華族様だよ と私は嘘を吐くのであった

居留地女の間では その晩、私は隣室のアレキサンダー君に案内されて、始めて横浜へ遊びに出かけた。 アレキサンダー君は、そんな遊び場所に就いてなら、日本人の私なんぞよりも、遙かに詳かに心得ていた。 アレキサンダー君は、その自… 続きを読む ああ華族様だよ と私は嘘を吐くのであった