青いボタン

『青いボタン』の解説

  • タイトル青いボタン
  • 著作者小川 未明
  • 書籍名定本小川未明童話全集 5
  • 出版社講談社
  • 出版年1977年3月10月
  • 制作年?
  • 製作国不明
  • 言語新字新仮名
  • 著作権状態パブリック・ドメイン
  • 初出「赤い鳥」1925(大正14)年1月
  • 『青いボタン』の全文

    小学校時分の話であります。

    正雄の組へ、ある日のこと知らない女の子がはいってきました。

    「みなさん、今日から、この方がお仲間になられましたから、仲よくしてあげてください。」と、先生はいわれました。

    知らない人がはいってくることは、みんなにも珍しさを感じさせました。正雄ばかりではありません。他国からきた人に対しては、なんとなくすこしの間ははばかるような、それでいて早く親しくなって、話してみたいような気持ちがしたのであります。

    それほど、他国の人のだれか、知らない遠い国からきた人だという、一種の憧れ心をそそったのでした。はじめの二、三日は、その女の子に対して、べつに親しくしたものもなかったが、また、悪口をいうようなものもありませんでした。

    だんだん日がたつと、こんどは反対に、独りぼっちの女の子を、みんなして、悪口をいったり、わざと仲間はずれにしたりして、おもしろがったのでした。その女の子の姓は、水野といいましたが、顔つきが、どこかきつねに似ていましたところから、だれいうとなく「きつね」というあだ名にしてしまいました。

    休みの遊ぶ時間になると、みんなは、女の子を取り巻いて、「きつね、きつね。」といって、はやしたてました。

    その女の子は、負けぎらいな、しっかりした子でしたけれど、相手が多数なので、どうすることもできませんでした。それに、知らない土地の学校にはいったことですから、小さくなって、こごんで黙っていましたが、ついにたまらなくなって、泣き出してしまいました。しかし、時間になって、教室へはいる時分には、いつものごとく泣きやんでいましたために、先生は、ちっともそのことを知りませんでした。

    ある日のこと、正雄の家へ、知らないおばさんがはいってきました。

    「私の家の娘とお坊ちゃんとは、学校で同じ組だそうでございます。それで、今日は、おねがいがあって上がりました。娘が、毎日、学校で、きつね、きつねといわれますそうで、学校へゆくのをいやがって困りますが、どうかお坊ちゃんにお願いして、みんながそんなことをいわないようにしていただきたいものです……。」と、頼みました。

    正雄の家と水野の家とは、あまりそう遠くなかったので、それで、彼女の母親がきたものと思われます。

    学校では、正雄も、いっしょになって悪口をいった一人なのでした。なかには、まったくそんな悪口などをいわずに、黙っていた生徒もありました。いま、正雄は、自分の行為に対して、気恥ずかしさを感ぜずにはいられなかったのです。

    「それは、お気の毒のことでございます。うちの正雄に、あとからよくいいきかせますから……。」と正雄のお母さんは、水野のおばさんに答えられました。

    女の子の母親が帰った後で、正雄は、お母さんから、弱いものをみんなしていじめることは卑怯なことだといわれて、正雄は、真に悪かったと感じました。

    あくる日から、正雄は学校へいって、みんなが、「きつね、きつね。」といって、からかった時分に、自分はいわなかったばかりでなく、みんなに、

    「弱い女の子をいじめるのは、卑怯だから、よそう。」といいました。

    正雄のいったことを、ほんとうだと思って悪口をいうのをよしたものも多数ありましたが、なかには、「君は、きつねの味方になったのかい。」といって、あざ笑ったものもあります。

    しかし、いままでのように、水野に対して、「きつね。」といって、からかうものがなくなりました。ただ、ときどき忘れていたのを思い出したように、彼女がおとなしく遊んでいるところへいって、「きつね。」といいますと、彼女は、もう負けていずに、反抗しました。そして、男の子のほうが、しまいには逃げ出してしまったのです。

    正雄と彼女とは、だんだん仲よしになってまいりました。正雄のおかげで、このごろは学校へいっても、みんなからいじめられないのを喜んでいました。そして、どうか自分の家へ遊びにきてくれるようにといいました。

    ある日のこと、正雄は、彼女の家へ遊びにゆきますと、女の子の母親はたいそうお礼をいわれました。そして、正雄がよく自分の子供をいたわってくれたといって、お菓子などをくださいました。

    女の子のお父さんは、すでに死んでなかったのです。その家は、彼女とお母さんとの、さびしい二人ぎりの生活でありました。女の子は、絵本を出したり、お人形を出して見せたりしました。二人は、いっしょに、その絵本をひろげてながめていましたが、その遊びにも飽きた時分でした。

    「ああ、私この箱の中に、大事にして持っている、青い石のボタンがあってよ。亡くなられたお父さんからいただいたの。これを、あなたにあげますわ。」といって、彼女は、小さな蒔絵のしてある香箱のふたを開けて、中から、三個のボタンを出して、正雄の手に渡しました。

    正雄は、それをしみじみと見ながら、きれいなボタンだと思いました。青い色が、いかにも美しかったのです。

    「お母さんに聞かなくて、しかられはしない?」と、正雄はいいますと、

    「私のですから、あげてもいいの。」と、彼女は笑いながら答えました。

    正雄は、それをもらって、家に帰ったのでありました。

    学校へゆくと、二人は、家で遊んだようには親しく、みんながなにかいうかと思って、できませんでした。

    それは、正月のことでありました。学校が十日あまり休みがあった、その後のことです。学校へゆくと、水野の姿が見えませんでした。どうしたのだろう?かぜでもひいて休んでいるのでなかろうかと正雄は、思っていました。

    ある日のこと、先生は、みんなに向かって、

    「水野さんは、遠い国へ引っ越しなすって、学校を退きましたから、空いている席を順につめてください。」といわれました。正雄は、はじめてそれと知ってびっくりしてしまったのです。

    「どこへ越していってしまったろう。」と、正雄は、彼女を思い出してさびしい気がしたのであります。

    正雄は、彼女からもらった、三個のボタンを取り出してながめていました。はじめは、それほどとも思わなかったのが、だれでも、このボタンを見た人は、「まあ、きれいなボタンだこと。」といって、ほめぬものはなかったのでした。

    そのうちに、春となりました。空の色は美しく、小鳥は鳴いて、いろいろな花が咲きました。正雄はこうした景色を見るにつけて彼女のことを思い出しました。

    ちょうど彼女が、学校へ上がったときには、唇をはらして、髪をみょうな形に結っていたので、どこか、その顔つきがきつねに似ていると思ったのが、後には、そうでなかったこと。そして、その目の色のうるんで、やさしみのあったのが、ちょうど、この春の空を見るときに感じるのと似たものがあったような気がして、正雄は、空想にふけりながら、うっとりとしたのであります。

    「なんで、黙っていったんだろうか?そして、手紙もくれないのだろうか。遠い国ってどちらの方なんだろう……。」と、正雄は思いました。

    三個のボタンだけは、まだ、彼の手に残っていました。正雄は、それを糸につないで、持って遊んでいました。その青い色は、水の色のようにも、また空の色のようにも、ときには、海の色のようにも、光線の具合で、それは、それは、美しく見えたのであります。このボタンを見た人は、だれでもちょっと立ち止まって、じっと目をその上に落とさないものはありませんでした。知らない人は、黙って見返ってゆきました。知った人は、「まあ、美しいボタンだこと、ちょっと見せてください。」といって、掌の上に載せてながめたのであります。

    しかし、だれも、この青いボタンが、石で造られたものか、貝で造られたものか、判断に苦しんだのでありました。

    「この青いボタンを、一つくださいな。」と、正雄は、たくさんの人からいわれました。けれど、このボタンをなくしてしまうことは、彼女に対する思い出からも、遠く離れてしまうことだと考えて、彼は、だれにもやらなかったのであります。

    「このボタンを僕にくれた、女の子の居所がわかって、そして聞いてみなければあげられない。その女の子はお父さんからもらって、大事にしていたのを僕にくれたのだから……。」と答えました。

    みんなは、「もう、いままで、なんの便りもないのだから、その女の子の居所のわかりっこはない。」といいました。

    しかし、正雄は、青々と晴れた大空を見渡して、「この、空の下のどこかに、きっと女の子は、お母さんと住んでいるのだろう……。」こう考えると、いい知れぬ悲しさと、なつかしさとが、感じられたのであります。

    ある日のことでした。近所に住む、脊の高い、顔の黒い男が、

    「坊ちゃん、私に、どうかこのボタンを一つください。私は、これを時計のかぎにぶらさげておきます。私は、汽車に乗って、方々を歩くのが勤務ですから、どこかで、そのお嬢さんが私の乗っている汽車にはいっておいでになり、私の胸にぶらさがっている、この青いボタンを見て、どうして私が手に入れたかとおたずねにならんものでもありません。私の乗っている汽車は、幾百マイルも先までゆき、その間に、数えきれないほどの停車場を通過するのですから……。」といいました。

    正雄は、この若い汽車乗りのいうことを聞くと、なるほど、そうしたことがあるかもしれないと思いました。それで、女の子の居所がわかったら、すぐに知らせてくれるようにという約束で、この男に青いボタンを一つ分けてやりました。またある日のことでありました。正雄は、家の前で遊んでいますと、金魚売りが通りました。金魚売りは、みんなを見ると、金魚のはいっているおけを地に下ろしました。みんなは、そのまわりに集まって、金魚をのぞいて見たのです。尾の長いのや、円いのや、また黒と金色のまだらなどの金魚が泳いでいました。

    そのとき、金魚売りは、正雄の持っていた青いボタンを見つけて、目をまるくしながら、

    「坊ちゃん、いい金魚をあげますから、そのボタンを一つくださらないか?」と、頼みました。

    正雄は、金魚売りのおじさんに、青いボタンの由来を話したのです。すると、金魚売りは、

    「坊ちゃん、私は、こうして、諸国を流浪します。それは、どんな村でも、また小さな町でも、春から夏にかけて、歩いてまわります。この青いボタンを私のかぶっている笠のひもに結びつけておいたら、いつか、そのお嬢さんが、金魚を買おうとなさる時分に見つけて、どこから、この青いボタンを手に入れたかとお聞きなさらないものでもありません……。」といいました。

    正雄は考えましたが、なるほど、この金魚売りのいうことは、ありそうなことでした。そこで、青いボタンを一つ分けてやりました。金魚売りは金魚を、正雄がいらないといったのに、三びきくれました。

    正雄の持っていた、青いボタンは、残り一つになりました。彼はこの一つのボタンだけは、けっしていつまでも放すまいと思いました。いつになったら、停車場で、また、汽車の中で、あの男は、彼女に出あうでしょうか。そして、またあの金魚売りは、いつになったら、彼女の住んでいる町へ着くでしょうか。

    三びきの金魚は、まだ達者で水盤の中に泳いでいます。正雄は、青いボタンの一つをまくらもとに置いて寝たある晩に、赤い家のたくさん建っている港の景色を夢に見たのでありました。

    ――一九二四・一○作――

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