青い星の国へ

『青い星の国へ』の解説

  • タイトル青い星の国へ
  • 著作者小川 未明
  • 書籍名定本小川未明童話全集 10
  • 出版社講談社
  • 出版年1977年8月10月
  • 制作年?
  • 製作国不明
  • 言語新字新仮名
  • 著作権状態パブリック・ドメイン
  • 『青い星の国へ』の全文

    デパートの内部は、いつも春のようでした。そこには、いろいろの香りがあり、いい音色がきかれ、そして、らんの花など咲いていたからです。

    いつも快活で、そして、また独りぼっちに自分を感じた年子は、しばらく、柔らかな腰掛けにからだを投げて、うっとりと、波立ちかがやきつつある光景に見とれて、夢心地でいました。

    「このはなやかさが、いつまでつづくであろう。もう、あと二時間、三時間たてば、ここにいる人々は、みんなどこかにか去って、しんとして暗くさびしくなってしまうのだろう。」

    こんな空想が、ふと頭の中に、一片の雲のごとく浮かぶと、急にいたたまらないようにさびしくなりました。

    そこを出て、明るい通りから、横道にそれますと、もう、あたりには、まったく夜がきていました。その夜も、日の短い冬ですから、だいぶふけていたのであります。そして、急に、いままできこえなかった、遠くで鳴る、汽笛の音などが耳にはいるのでした。

    「まあ、青い、青い、星!」

    電車の停留場に向かって、歩く途中で、ふと天上の一つの星を見て、こういいました。その星は、いつも、こんなに、青く光っていたのであろうか。それとも、今夜は、特にさえて見えるのだろうか。

    彼女は、無意識のうちに、「私の生まれた、北国では、とても星の光が強く、青く見えてよ。」といった、若い上野先生の言葉が記憶に残っていて、そして、いつのまにか、その好きだった先生のことを思い出していたのであります。

    すでに、彼女は、いくつかの停留場を電車にも乗ろうとせず通りすごしていました。ものを考えるには、こうして暗い道を歩くのが適したばかりでなしに、せっかく、楽しい、かすかな空想の糸を混乱のために、切ってしまうのが惜しかったのです。

    先生は、年子がゆく時間になると、学校の裏門のところで、じっと一筋道をながめて立っていらっしゃいました。秋のころには、そこに植わっている桜の木が、黄色になって、はらはらと葉がちりかかりました。そして、年子は、先生の姿を見つけると、ご本の赤いふろしき包みを打ち振るようにして駆け出したものです。

    「あまり遅いから、どうなさったのかと思って待っていたのよ。」と、若い上野先生は、にっこりなさいました。

    「叔母さんのお使いで、どうもすみません。」と、年子はいいました。窓から、あちらに遠くの森の頂が見えるお教室で、英語を先生から習ったのでした。

    きけば、先生は、小さい時分にお父さんをおなくしになって、お母さんの手で育ったのでした。だから、この世の中の苦労も知っていらっしゃれば、また、どことなく、そのお姿に、さびしいところがありました。

    「私は、からだが、そう強いほうではないし、それに故郷は寒いんですから、帰りたくはないけれど、どうしても帰るようになるかもしれないのよ。」

    ある日、先生は、こんなことをおっしゃいました。そのとき、年子は、どんなに驚いたでしょう。それよりも、どんなに悲しかったでしょう。

    「先生、お別れするのはいや。いつまでもこっちにいらしてね。」と、年子は、しぜんに熱い涙がわくのを覚えました。見ると先生のお目にも涙が光っていました。

    「ええ、なりたけどこへもいきませんわ。」

    こう先生は、おっしゃいました。けれど、先生のお母さんと、弟さんとが、田舎の町にいらして、先生のお帰りを待っていられるのを、年子は先生から承ったのでした。

    また、先生のお母さんと、弟さんは、その町にあった、教会堂の番人をなさっていることも知ったのでした。

    だが、ついにおそれた、その日がきました。せめてもの思い出にと、年子は、先生とお別れする前にいっしょに郊外を散歩したのであります。

    「先生、ここはどこでしょうか。」

    知らない、文化住宅のたくさんあるところへ出たときに、年子はこうたずねました。

    「さあ、私もはじめてなところなの。どこだってかまいませんわ。こうして楽しくお話しながら歩いているんですもの。」

    「ええ、もっと、もっと歩きましょうね、先生」

    ふたりは、丘を下りかけていました。水のような空に、葉のない小枝が、美しく差し交じっていました。

    「私が帰ったら、お休みにきっといらっしゃいね。」と、先生がおっしゃいました。

    年子は、あちらの、水色の空の下の、だいだい色に見えてなつかしいかなたが、先生のお国であろうと考えたから、

    「きっと、先生におあいにまいります。」と、お約束をしたのです。すると、そのとき、先生は年子の手を堅くお握りなさいました。

    「たとえ、遠いたって、ここから二筋の線路が私の町までつづいているのよ。汽車にさえ乗れば、ひとりでにつれていってくれるのですもの。」

    そうおっしゃって、先生の黒いひとみは、同じだいだい色の空にとまったのでした。

    流れるものは、水ばかりではありません。なつかしい上野先生がお国に帰られてから三年になります。その間に、おたよりをいただいたとき、北の国の星の光が、青いということが重ねて書いてありました。そして、雪の凍る寒い静かな夜の、神秘なことが書いてありました。

    青い星を見た刹那から、彼女を北へ北へとしきりに誘惑する目に見えない不思議な力がありました。

    とうとう、二、三日の後でした。年子は、北へゆく汽車の中に、ただひとり窓に凭って移り変わってゆく、冬枯れのさびしい景色に見とれている、自分を見いだしました。

    東京を出るときには、にぎやかで、なんとなく明るく、美しい人たちもまじっていた車室の内は、遠く都をはなれるにしたがって人数も減って、急に暗くわびしく見えたのでした。そのとき、汽車は、山と山の間を深い谷に沿うて走っていたのです。

    「まあ、山は真っ白だこと、ここから雪になるんだわ。」

    年子は、思わずこういって目をみはりました。

    「山を越してごらんなさい。三尺も、四尺もありますさかい。おまえさんは、どこから乗っていらしたの。」

    黒い頭巾をかぶったおばあさんが、みかんをむいて食べながらいいました。年子は、話しかけられて、はじめて注意しておばあさんを見ました。なんだかあわれな人のようにも見え、また気味悪いようにも感じられたのです。

    「東京から乗ったのです。そして、つぎのつぎの、停車場で下りますの。」

    「着くと暗くなりますの。」

    おばあさんは、それぎりだまってしまいました。雪の曠野を走って、ようやく、目的地に着きました。しかし、急に思いたってきたので、通知もしなかったから、この小さな寂しい停車場に降りても、そこに、上野先生の姿が見いだし得ようはずがなかったのです。

    手に、ケースを下げて、不案内の狭苦しい町の中へはいりました。道も、屋根も、一面雪におおわれていました。寒い風が、つじに立っている街燈をかすめて、どこからか、枯れたささの葉の鳴る音などが耳にはいりました。

    どちらへ曲がったらいいかわからなかったので、しばらくたたずんで、きかかった人に、教会堂の在所をたずねますと、すぐわかって、そこから三、四丁のところでありました。

    雪催いの曇った空に、教会堂のとがった三角形の屋根は、黒く描き出されていました。そして、かたわらの小さな家から、ちらちらと灯がもれていました。年子は、刹那の後に展開する先生との楽しき場面を想像して、胸をおどらしながら入ってゆきました。

    先生のお母さんらしい人が、夕飯の仕度をしていられたらしいのが出てこられました。そして、年子が、先生をたずねて、東京からきたということをおききなさると、急にお言葉の調子は曇りを帯びたようだったが、

    「それは、それは、よくいらしてくださいました。さあお上がりなさいまし。」と、ちょうど我が子が遠方から帰ってきたように、しんせつにしてくださいました。

    年子は、先生の姿が見えないのを、もどかしがっていると、お母さんは、おちついた態度で、静かに、先生は、もうこの世の人でないこと、なくなられてから、はや、半年あまりにもなること、そして、その節は、お知らせせずにすまなかったとお話しなされたのでした。

    これをきくと、年子は、前後をわきまえず、そこに泣きくずれました。やがて、北国の夜はしんとしました。静かなのが、たちまちあらしに変わって、吹雪が雨戸を打つ音がしました。このとき、家の内では、こたつにあたりながら、年子は、先生のお母さんと、弟の勇ちゃんと、三人で、いろいろお話にふけっていたのでした。

    「スキーできる?」と、勇ちゃんがききました。

    「ちっとばかり。」と、年子は答えた。

    「じゃ、明日、お姉さんのお墓へ、いっしょにゆこう。」と、勇ちゃんが、いいました。

    翌日は、いいお天気でした。ふたりは、町を距たった、林の下にあった寺の墓地へまいりました。墓地は雪に埋まっていましたけれど、勇ちゃんは、木に見覚えがあったので、この下にお姉さんが眠っていると教えたのでした。

    「先生、私はお約束を守っておあいしにまいりました。それだのに、先生は、もうおいでがないのです。私は、ひとりぽっちで、さびしく帰ってゆかなければなりません。」と、年子は目を泣きはらして、手を合わせました。勇ちゃんは、ハーモニカを唇にあてて、姉さんの好きだった曲を、北風に向かって鳴らしていたのです。

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