愛は、力は土より

『愛は、力は土より』の解説

  • タイトル愛は、力は土より
  • 著作者中沢 臨川
  • 書籍名日本の名随筆100 命
  • 出版社作品社
  • 出版年1991年2月25月
  • 制作年?
  • 製作国不明
  • 言語新字旧仮名
  • 著作権状態パブリック・ドメイン
  • 『愛は、力は土より』の全文

    M市の一隅にある城山の小高い丘を今私は下りて来た。初夏の陽はもう落ち尽して、たゞその余光が嶮しい連山の頂を、その雪の峯を薄紫に照してゐた。眼の下の街々は僅かに全体の輪郭だけを残して、次第々々に灰色の空気につゝまれて行つた。

    妙に心の落着く夕暮であつた。私は徐かに足を運んだ。別に行き逢ふ人もないのに、殊更迂路をして、白い野薔薇のところ/″\咲いてゐる小径を択つて歩いた。『別に急ぐことはない。急いだつて同じことだ』

    かうした淋しいやうな、なつかしいやうな、一種絶望的な、或は落ちつき払つた考が私の心を私の歩みにつれて牽いた。次第に私の眼には涙が浮んだ。少年の頃によく経験したことのあると同じやうな純な敬仰の心がふと燃え上つた。その時自分の頭に『生命の故郷』といふ詞が一つの尊い啓示が何かのやうに閃いた。なつかしい詞だ。久しく忘れてゐた詞だ。少年の頃よく穉い詩を作つた折に屡々使つた詞だ。

    生命の故郷!

    然うだ。私がこの頃来求め苦み、尋ね喘ぎてゐた道の方向を示してくれるのはこの詞よりほかにない。

    私はこの三四年来人知れず苦んで来た。自分相当の懊悩を重ねて来た。

    『おまへの苦みはおまへの自堕落の結果だ、自業自得だ』

    かういつて私は断えず自分の半生の放埒な径路を悔んだ。恐らく世間も朋友も親戚もさう私を視てくれたに違ひない。物質的に私は憐まれたに違ひない。そして責められたに違ひない、笑はれたに違ひない。私は十分にそれを自識してゐた。否、それよりも以前に、私は自分を自分で笑つた、憐んだ、悔んだ、そして責めた。

    この両三年来の私の生活は自ら鞭つ生活であつた。自分で自分を責めた挙句、私は自殺の心をさへ起した――或時は江州の片田舎で、或時は京都の旅舎で、また或時は九州の旅のはてで。私は死ぬべくあせり、同時に活きるべくあせつた。

    しかしこんな無益な告白が何になる?人は私を薄志弱行の徒と笑ふであらう。ディレッタントとも嘲るであらう。

    が、徐かに意識するにつれて、その頃の私の懊悩には自堕落の結果以外、実世間との交渉以外、もつと深い、もつと根本的な、生命の推移につれて必然的に来るべき或物が存在したことを知ることができた。私の年齢は四十の坂にかかつてゐた。

    人が四十の坂を越す頃から、当然踏まねばならない一つの運命がある。それは一生のうちに二度とない大きな危機である。その時我等の肉体にも精神にも、徐々たる然し深甚な、犯すことのできない組織の変化が起る。我等の肉と心とは一度壊されて更に新しく築かれねばならぬ。それは神聖な生命苦である。物質的にはどうすることもできない運命の必然である。

    私のその頃の懊悩には、確かにかうした必然の分子が含まれてゐたことを、私はおぼろげながら知りそめた。私の苦みはやゝ温められた。私は半ば運命に身を任せ、半ばは自ら苦み上げねばならぬといふ覚悟と智慧とを得た。

    『何うするものだ。迷ふなら迷へ。徐かに歩むがよい。益のない苦みをするな。』

    こんな宿命的な考にも誘はれた。私は急に老人じみた心持を懐くやうになつた。

    それから此田舎へ引込んでから約一年半を過した

    私の心は自然に『土』に愛着を持つやうになつた

    薄暮の気のひし/\とせまつてくる小径に、暫くの間私は茫然と立ち尽した。私の眼には、涙が浮んで、私の胸はこみ上げてきた。私は声を揚げて泣くか叫ぶかしたかつたが、しかしできなんだ。三四年来苦しんで求めた物が遂に来たといふやうな喜びがあつた。この両三年の懊悩も決して徒労ではなかつたといふやうな感謝の思ひも湧いた。『生命よ、わが故郷よ、なつかしき自然よ、温かき土よ、おん母よ、大地よ』といふやうな祷りの思想がリテラリイに私の胸を突いた。凡ての生命の、愛の、力の源なるこの大地のこの土を踏みしめて我が立つあひだは私は恵まれた者である。

    智慧は徐かに来る。苦み悩み果てた喜びに、育まれて智慧は徐かに来る。思へば人生の経験のさゝやかな一片でさへ智慧の肥料とならないものはない。

    でも苦しかりし我が最近の生活よ。更に驚くべきはその醜き堆積の中より育て上げられしし今宵の清き華よ。

    私は大地に跪いて土に接吻したかつた。しかし僅かに野原の茎の一片を取つてそれを口に当てた。

    私は濃い夜色の中に立つてゐた。幸に空は晴れてゐて、星の光が僅かに四辺を照して呉れた。私は知らず識らずに或る野寺のうしろに当る墓地へ出た。

    私はまた暫く其処で立ち尽した。その墓場には野薔薇が繁つてゐた。折から一段と脊の高い瘠せた茎の頂から、一つの白い花が蕚のまゝ音もせずに落ちた。小さな平和の死よ。これも自然の運行の一部である。かう私は思つた。

    幼少年の頃から夢のやうな思ひ出が私の頭の中で繰返された。嘗て読んだ書物の中のさまざまの人物までが次々に私を訪れた……

    バザロフ!勇敢なりし汝の一生よ。私も或る時代には汝の如く強く行ふ人でありたいと思つた。今もその空想は私を離れない。しかし今宵の私の心のムウドに沁々と親みをはこぶものは汝の死である。汝の埋められた露西亜の遠い片隅の一寒村の墓地の光景は今もありありと私の前に浮ぶ。努力、死、自然の冷淡、生命(親と子)の矛盾と愛――これ等のものの関係を汝の墓ほど直截に談るものはほかにない。しかし何にも増して汝の墓からうる我等の感銘はかうである――『その墓に埋れた心が、何れだけ熱情的で罪深く、また反逆的であつたにせよ、そが上に咲く花は無邪気の眼で我等に視入り、その眼は永遠の調和と無限の生命とを我等に談る』

    バザロフよ、汝は遂に土に帰つた、そして汝の魂を土が温め、汝の土を汝の魂がヒューマナイズした。

    なつかしきエミリイ・ブロンテ!彼女は真の自然児であり、忍耐強いそして忠実な運命の奉仕者であつた。短命な彼女の生活は殆んどその故郷なる沼地で過された。何れだけ彼女はその地に、その自然に強い愛を捧げたか。何れだけ彼女の生活が野生の小兎に似てゐたか。彼女は暇さへあれば何時も沼のほとりにたゝずんだ。彼女ほどに熱情的な愛着を以つて草木禽獣に親んだ者はなかつた。彼女は幼少の頃からその日課なる散歩の帰りに、屡々ひな鳥や子兎を掌の上に乗せてなつこく談りながら帰つた。彼女は小鳥の言葉を解することができたと信じてゐた。それだけが彼女の一生であつた。彼女は Mother Earth そのものであつた。

    然したつた一つの彼女の形見である『ワザーリング、ハイツ』を繙く者には何れだけ強く深い人生の経験が、この不幸な、嘗て一たびも恋の囁きさへ耳にしたことのない少女の胸の中に潜んでゐたかといふことがわかる。それから、彼女には何よりも――凡ての情熱を超えての――強い宿命観があつた。それは凡てを自然の懐に任せる野獣のそれに似てゐた。

    忘れることのできないのは『ワザーリング、ハイツ』の最後の一節である。強い恋と嫉妬との一生を終つた敵味方の三つの墓は互に並んで建てられた。『私は穏やかな空の下で、これ等の墓を廻りながら徐かに歩いた。私はいばらの下に舞ふ羽虫の姿を見た、そして小草を超えて吹く柔らかな風の音を聞いた。で、私は訝つた、何人が此の静かな土の中に眠る人々に安らかでない睡眠のあるといふことを想像しえたかと』

    生命の推移、運命の輪廻、それから来る永遠の調和――それを最も深く思はせる処は墓地である。『生命の戦はたゞ無益に戦ふばかりではいけぬ、汝は知られぬ神の前にひざまづくことをも知らねばならぬ』といふ詞の意味を強く教へる処は墓地である。ハンブルな静かな心で墓地へ来る者には、温かい『あきらめ』の教訓が与へられる。それには慈母の懐に抱かれた幼年の思ひ出に等しいものがある。かうした瞑想によつてのみ我等は『土』を知る。そして土の智慧から真の愛と力とが湧く。

    こんな考に耽りながら私は多時立ち尽した。野薔薇の小さな白い花の幾つかが星の光に愈々鮮やかに浮いて出た。

    私の眼からはもう涙が乾いてゐた。私は家路をさした。しかし急がなんだ。

    『急いだつて何うするものだ。急ぐことはない。……迷つてもいゝ。明け方までに帰ればいい』

    かういふ考が矢張私の心にあつた。私の足の下には堅い、確かな、それで温かい土がある。私の踵をとほしてその土のもつ深い喜びと沈静とが私の脈搏に通ふ。私の徐々たる歩みの一歩々々には私は深く/\大地の懐に抱き込まれるやうな気がした。私の吸ふ露けき空気は地の胸から出る乳だ。今宵わが『母』は贅沢に生ひ茂つた草の葉に、その上に置く露に、その根元になく虫に――あらゆる物にあふれてゐる喜びで私の魂を牽きつけようと企んでゐるのだ。星は天の戸を開けてしんみりとして夕暮の曲の音を奏でてゐる。

    一種の甘い悲に酔ひ惚れて、私は風の落ちた薄暗の小径をとぼ/\と辿つた。私は自分の家へ帰れるだらうか。土の精が今宵私を訛して他界からの親しらしい挨拶で私の魂を奪はうとするのではなからうか。

    私は疲れた足をひいて漸く自分の家へ辿りついた。床をのべてそして静かに身を横へた。私は強ひて思ふまい、また強ひて祈るまい、私の感謝の道は別にあらう。

    私は今夜、慈母のやうに甘えることのできる神を発見した。私の弱つた魂にあなたは祈祷の義務を免して下さるだらう。あまつさへあなたは私の疲れた眼の上に安眠のヴェールを曳いて下さるだらう。

    今私は眠る。四肢にはなほ快い土の脈搏が通つてゐる。よしや私の瞼が閉ぢ、私が無感覚の域に這入らうとも、私の五体は、魂は――彼の大地が贅沢にはぐくむ草木の呼吸とともに、彼の大地が静かに永遠に抱き葬つた百千の霊魂とともに未来永劫に渉つて可能なる無限無数のまだ生れない生命とともに、さては地の喜びを頒つ空の星とともに、汪洋たる生命の諧調を合すであらう。

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