ボヘミアの醜聞

『ボヘミアの醜聞』の解説

  • タイトルボヘミアの醜聞
  • 著作者アーサー・コナン・ドイル
  • 書籍名ボヘミアの醜聞
  • 制作年?
  • 製作国不明
  • 言語不明
  • 著作権状態パブリック・ドメイン
  • 『ボヘミアの醜聞』の全文

    シャーロック・ホームズにとって彼女はいつも『あの女』である。彼女以外の女の名前をホームズから聞いたことがない。彼女は常に一番で、ホームズの眼には他のどの女性の存在も薄れて映るのだ。しかし、ホームズがアイリーン・アドラーに対して愛に似た感情を抱いていることはなかった。冷静で的確、それでいて見事にバランスのとれた彼の精神にとって、あらゆる感情の中で愛情は許しがたいものなのだ。私は彼のことを推理力と観察力をもつ世界でもっとも完璧な機械のように思っている。しかし、恋人としては不完全だった。彼は、からかいや冷笑なしに優しく感情表現することができなかった。観察者にとって感情は素晴らしいものだ、隠された人の動機や行動をあばくのに有効だからだ。しかし、有能な推理家にとって、繊細で綿密にバランスを保っている精神にそのような感情が入り込んでくることは、心を乱す要因となり、彼の今までの全てに疑問を投げかけることになる。彼のような気質の人に愛という感情が侵入すれば、精密機械に砂利が挟まるよりも、彼が持ってる強力レンズにひびが入ることよりも、彼の仕事に支障を来すのだ。それでも、たった一人忘れられない女性がいた。それが、アイリーン・アドラー、怪しげで疑問の残る女性だ。

     最近、私はホームズとほとんど会っていなかった。私が結婚した事で疎遠になっていたのだ。私は幸せに満たされ、自分が家族の長になった事で奮起して、私の意識は全て家庭中心の生活に向けられていた。一方、社会常識では収まらない自由なホームズは、世間とのつながりを嫌い、古い本に埋もれてベイカー街の部屋にこもっていた。毎週入れ替わるように、コカインによる睡魔と彼が元来持つ激しい行動力との間で、彼は揺れ動いていた。それでも以前と変わらず、ホームズは犯罪の研究に魅かれ、自分の計り知れない能力とずば抜けた観察力を使って、警察にお手上げだと諦められた事件の手がかりを見つけ謎を解明していた。時々、彼に関する噂を耳にしていた。トレポフ殺人事件でオデッサに召喚されたこと、トリンコマリーのアトキンソン兄弟の奇妙な悲劇を解明したこと、そして、現オランダ王家に対しての任務を繊細に無事にやり遂げたことだ。しかし、これは単に新聞を読めば知れることであって、私はかつて友人であり仕事仲間であったホームズの活躍に関して、それ以上はよく知らなかった。

  • 更新日
  • 投稿日