シモーニデースと難破船

『シモーニデースと難破船』の解説

注:古代ギリシアの難破した生存者は、自身の災難について理由を書いたはり紙を持ち歩きました。クラゾメナイはイオニア人のギリシア都市で、スミュルナ(現在トルコのイズミル)近くに位置しています。ラテン語の諺 omnia mea mecum porto(直訳で「私が一緒に持っているものが私のすべて」もまた、哲学者スティルポ(参照:セネカ著『ルキリウスへの手紙』9章p.13)や、ギリシア七賢人の1人であったビアスと関連しています。

  • タイトルシモーニデースと難破船
  • 著作者イソップ(アイソーポス)
  • 書籍名シモーニデースと難破船
  • 制作年?
  • 製作国不明
  • 言語不明
  • 著作権状態パブリック・ドメイン
  • 『シモーニデースと難破船』の全文

    学者にはいつも豊かな資質があります。

    並外れた才能の抒情詩人であったシモーニデースは、最も有名なアジアの首都を旅しながら、報酬のかわりに戦勝した闘技者の詩を詠み称え、貧しい暮らしを支えていました。これを機にシモーニデースは裕福になり、船旅で故郷へ帰る用意ができました(彼の出生地はケオス島と言われています。)

    シモーニデースは乗船しましたが、ひどい嵐(と舷弧の老朽化)のせいで海の真ん中で船は沈んでしまいました。ある乗客はお金が入った胴巻きを大急ぎで取り、またある乗客は貴重品や生活の糧となるようなものを必死で集めようとしました。

    乗客の中でもある好奇心の強い1人が詩人に尋ねました。「シモーニデース、なぜあなたは自分のものを何一つ持っていかないのですか?」彼は、「私のものならすべて私と一緒にここにあります。」

    結局、岸辺までたどり着くことが出来たのはたったの数人だけで、その他の多くは身につけていたものの重みで溺れてしまったということがわかりました。それから山賊がやって来て、岸辺にたどり着いた生存者は身につけていたものをすべて奪われてしまいました。

    折よく難破した人たちが振り返ると、そう遠くないところに古代都市クラゾメナイがありました。この都市には、シモーニデースの詩をよく読んでは文学的追及を試み、遠くから彼に憧れていた男が住んでいました。その男は話し方のみでシモーニデースを見つけると、服やお金や使用人で大いに彼を楽しませ、熱心に自宅へ招待しました。その一方で、残りの生存者ははり紙を持ち食料を請いました。

    偶然シモーニデースが生存者たちに会ったとき、彼らを一瞥しこう叫びました。「私が言った通りです。私のものならすべて私と一緒にここにあります。しかしあなたがたが一緒に持ち去ったものは今、すべて消えてしまいました。」

  • 投稿日